世界の民族文化

世界の民族や文化について

日本の民族~琉球民族

日本の民族の中で、次に琉球民族について見ていきたいと思います。

日本列島は、太古の昔にユーラシア大陸と陸続きだったことがわかっています。
それは、約3万年前に遡るといわれています。
近年、石垣島から2万年前のものと推定される、旧石器時代の人骨が発掘されました。

琉球人は、アイヌ人と近似性が高く、同じようにモンゴロイドが日本列島にやって来るにあたり、各地に分布してそれぞれの文化を発展させていったと見られています。

琉球文化は、日本ともアジアの近隣諸国ともちがう、独自性のある文化が色濃く残っています。
琉球王朝が栄華を誇ったことにより、その個性的な文化が花開いていったと共に、多くの権力者の覇権争いによる盛衰も起こりました。

そのため、戦後日本に統合されてからも、沖縄として琉球文化を残し、またアメリカの影響を受けながら、さまざまな表情を見せています。

琉球文化のひとつとして、今も方言が残されています。
それは日本語とは異なる琉球語と見なされており、喜界語、北奄美語、南奄美語、徳之島語、沖永良部語、与論語、国頭語、中央沖縄語、宮古語、八重山語与那国語として、それぞれ別の言語とみなされています。
ただし、これらは相違は見られるものの、日本語と同系統の言語であり、日本語族に分類されています。

本州で暮らす日本人が沖縄旅行などへ行くと、彫りの深い顔立ちや、琉球語を話す沖縄人に出会い、同じ日本とは思われないような人種的・文化的相違を感じることもあるでしょう。

日本の民族~アイヌ民族 その2

前章では、日本の民族の中で、アイヌ民族についての基礎をまとめてみました。
ひきつづき、アイヌ民族について見ていきたいと思います。

アイヌ民族についての歴史は、明らかになっていないところがあり、まだ研究の余地が大きい分野でもあります。

本州で弥生文化が発展する中、アイヌの地では縄文文化が独自に継続し、発展をしていきました。
弥生文化では権力者が生まれ、国が作られるという、大きな文化の変わり目を迎えていました。
やがて、本州では大和朝廷への統一が行われるようになります。

その頃、アイヌでも弥生文化の影響を受けてはいましたが、社会のしくみは縄文文化の様式を保っていました。
それは自然との共生を行う中、狩猟や漁労によって食を営み、続縄文文化が継続していきます。

7世紀頃になると、アイヌの地でも律令国家・大和朝廷の影響を受け、擦文文化といわれる新たな文化が誕生するようになります。
これにオホーツク文化といわれる北からの影響を受けながらも、13世紀頃までこの文化様式を継続させていきます。

14世紀に入り室町時代の頃になると、アイヌ文化として確立するようになります。
しかし、15世紀になると北海道南部に和人の勢力が強化され、アイヌ民族との衝突が起こるようになります。

そして、18世紀まで大きな戦いをくり返し、1789年のクナシリ・メナシの戦いによって、アイヌ民族は和人の支配下に置かれるようになりました。

その後、和人による侵略と搾取に遭い、これまでの独自の文化様式が廃止されるようになりました。
また、厳しい差別も行われるようになります。

そして、現在においてもアイヌ民族に対する先住権は未だに認められておらず、日本全体のとっての大きな課題がまだまだ残されています。



日本の民族~アイヌ民族

日本の民族では、大和民族の他にはアイヌ民族琉球民族が挙げられます。
このアイヌ民族について、見ていくことにしましょう。

アイヌ民族の起源については、さまざまな説があり、決定的な説はまだ確立していません。
古代、南からモンゴロイドが琉球や日本列島、樺太(サハリン)、千島列島に定住し、縄文文化が生まれていきます。
しかし、弥生時代に北方のモンゴロイドが日本にやってきて進化を遂げた結果、弥生文化・古墳文化が誕生しました。

これらの影響を受けずに独自の進化を歩んできたのが、アイヌ民族であるといわれています。
また、琉球民族も同じです。

日本の歴史を学ぶ時には、「石器時代」「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」というように時系列で説明がなされています。
しかし、最近の研究では、縄文文化と弥生文化が並行して存在していたことが明らかになっています。
つまり、東北地方を中心に独自の縄文文化が存在していたと見られているのです。

その縄文人ともいえるアイヌ民族は、大和民族の文化とは別に進化を遂げてきました。
それは、縄文文化から続縄文文化、そして擦文文化からアイヌ文化と発展をし、14世紀頃にアイヌ文化が形成されたといわれています。

アイヌ民族は、北海道を中心に東北や樺太(サハリン)、千島列島に分布して居住していました。
そして、明治以降の戦争により、北海道に居住するようになり、戦後になると北海道を中心に全国に居住するようになりました。

日本の民族~大和民族

世界の民族について、こちらにまとめていきたいと思います。

世界には無数ともいえるほどの多くの民族が存在しています。
そして、日本にも複数の民族が存在します。

日本人の多くは大和民族といいます。
ウィキペディアによると、このように言い表されています。

「大和民族(やまとみんぞく)は、日本語を母語とし、日本列島に居住する民族である。しばしば日本民族や和人(わじん)とも呼ばれる。

大和民族の起源は、縄文時代より以前に遡ります。
その頃から日本列島に住んでいた人々のうち、弥生時代に大和を本拠地に形成された大和朝廷に属する民族を、こう呼びました。

言語は、古代から日本語が話されてきました。
また、その頃漢語が中国よりもたらされ、漢字が使われるようになりました。
漢字より以前の文字については、現在も発見されていません。
一説では、神代文字が存在したという見方もありますが、現在のところ解明は進んでいません。

漢字が伝来した後、ひらがなとカタカナが漢字を崩すことで派生しました。
これにより、日本語を文章化することが可能になったため、日本文学が発展していくようになります。
中世には和漢混淆文が成立したため、現在の日本語の書き言葉の元型として、表現を発達させていきました。

日本が島国であることも奏して、大和民族は独自の文化を土台にしながら、外国からの影響を受け、その文化や宗教などを取り入れてきました。
そして、それらを融合させながら今日まで発展させてきました。
日本の世界の中での位置を考えると、大和民族の独自性と柔軟性がそのために大きな貢献をしてきたともいえるでしょう。

そして、近代以降になると、アジア諸国を中心に他国への大きな影響を与えるようにもなりました。